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個人情報とプライバシー

FLAKWORKSの代表/ディレクターの高田です。

僕はゲームが好きです。小学生の頃からずっとゲームばっかしてます。
と言っても今回はゲームの話ではなくて、ゲーム好きなら被害を受けたであろう、
この前のPlayStationNetwork(PSN)の個人情報漏洩事件のことについて少し。

今までも、個人情報が流出した事件はたくさんありました。
wikipediaの主な個人情報漏洩事件にあるだけでもこの10年で100件近く、
流失した個人情報は数億人以上、もう数えきれないものになっています。

PSNの件は僕も例に漏れず、あなたの個人情報が漏れた可能性がありますってメールが来まして、
うわーまじでー、みたいな感じだったんですが、なんかこう不感症と言いますか、
特に何も特別な気持ちにならなかったんですよね。
それが前出のように、数ヶ月に1回そういうニュースを目にするからなのか、
僕の周りで、これといった被害にあった人がいないからリアリティを感じられないのか、
なぜ、漏れたことが気にならないのか、ちょっと解らなかったんですよ。

僕のPSNのアカウントは特に他のWEBサービスと同じID/PASSじゃなかったし、
カード情報に関しても、何かあればカードの保険の適応内だと思っていたから、
なんとなく僕に直接被害があるとは思えなかったというのもあるんですが、
ちょこちょこ考えを進めるうちに、僕の個人情報ってなんだろって感じるようになってきました。
僕のメールアドレスとか名前って、割とWEB空間でオープンなものになっていますし、
住所も自ら公開しないですが、ヤフオクで取引するときに平気で明かしたりするわけですから、
僕は自分の個人情報、プライバシーに対してとても鈍感になっているのではないか、と。

先月発売の日本版WIREDの創刊号に、「ソーシャル」という罠 、という記事がありました。
これには現在のソーシャル世界のプライバシーの無い様を、
過去の功利主義のもたらしたパノプティコンという刑務所の設計思想に重ねたり、
ジョージ・オーウェルの小説『1984』に出てくるビッグ・ブラザーに重ねたりと、
非常に面白い記事で、僕にとって色々なことを感じ、考えされる良著でした。
WEBで読むことができますので、よかったらどうぞ。

僕たちや、僕たちの子どもが本当に守るべき個人情報とは何なのか。
積極的なプライバシーは、WEB空間において文化・風習的に存在するのか。
WEB空間、ソーシャル上に存在する僕は、本当の僕なのか、あるいはデコイなのか。
僕は今回のドラスティックな流出事件が、それらをもう一度考える良い機会なのかな、と感じています。

Facebookの創始者マーク・ザッカーバーグはプライバシーはもはや社会の規範ではない、と語っています。
Facebook、Twitter、foursquareなど、さまざまなサービスが交錯する、
限りなく透明なソーシャル時代とその未来に、果たして僕たちは、どのように存在していくのでしょうか。

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